コールドシャワーを浴びて 

コールドシャワーや、Atomization思考による日々の徒然を綴ります。

スポーツジャーナリズム、放送の変化 (散文です。誰かへの反論や、提案ではございません)

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最近時々聞かれるので、整理して書き残します。
ウェブや視聴者体験の変化による影響は今後はさらに大きくなると思います。

①◯ダルビッシュさんが巻き起こした影響
~Youtubetwitterによって進化(変化)したスポーツジャーナリズム~
 
 私が組織内で睡眠時間を削ってスポーツ放送を担当していた時、チラッとFBタイムラインに表示された内容を見て
「えっすご、何これ。」
それは、ダルビッシュ有さんが、ブルペン練習や一人語りを撮影(おそらくスマホ)したものだった。
ブログ、twitteryoutubeなどと連動して、自らで(自己メディアチームで)自分の思うままに映像、画像、文章でコンテンツを配信していた。
*最近は、ダルビッシュさんの自己メディアの活動頻度が落ちている、権利とかかな、飽きたのかな?

 「こんなの本人しか出せない。」編集がほぼゼロ、ピントが甘いワンショット。それら含めたリアル感、むしろ新しい。
視聴しながら、「あっやべぇ、これディレクターとか要らないじゃん。しかも視聴回数や、pv数がエグい。」
そう自分を自分で放送するメディアにおいては、
当時の私の仕事の大部分を占めていた、スケジュール、各所申請、組織的“お伺い”など全てを省略できる。
なぜなら、せいぜい承諾をとるのは、自分に近いチームメートなどだけだからだ。

 さらに、最近よく議論に上がるが、編集物に対してオリジナル提供側(被写体側、撮られた側)が100%満足することはそれほど多くない。よって、取材謝礼の3,40万?(番組によってまちまち)など要らないトッププレーヤーは自分でメディアチームを組んで、“本当は言いたい(言っていた)こと”を発信する。 

②◯その競技をやったことがない私が、なぜ絵を選べるのか。
~精神論への逃避~

 私はスポーツは野球しかやったことがない。そんな私が、例えばラグビーやサッカーの映像を評価、選別できるのか。結論から言えば、できなかったし、競技経験者に勝る訳が無い。
同様に、野球をしたことがない人が野球撮影における絵を決めるというのは、なんと難解なことだろう。
 
クイズ!
(i.)✔︎1,3塁と本塁間の打球フェアorファール判定は誰がするのか?
(ⅱ.)✔︎ボークを取られる可能性が発生する始動はどこからか?(投球始動?言い方が違ってたらすいません)
これらの意味がわからずして、そもそもボーク自体を知らずして、絵は選べない。具体的には、リプレイの撮影場所、開始時点が定まらない。
解説を併せて、
(i.)について、塁審のコールを画角に入れて撮ってる(た)場合が当時散見されたが、最初のジャッジメント球審が行なっているので、塁審を撮る(リプレイ再生する)意義はない。撮るべきは球審である。塁審は球審の判定を走者へ伝達しているジェスチャーであって、フェアorファールの判定者ではない可能性が高い。  
(ⅱ.)について、ボークを取られたプレーおさらい映像に、セットポジション開始の絵がないなどというのは多くの場合間違いであって。リプレイ目的から観て、矛盾でしかない。 

関連して、投球動作をリリース直前からだけしか見せないlive映像には違和感しかなかった。(例えば人気選手のベンチ所作を撮り続ける、など)
これは好みの問題だが、投球動作の美しい動き、リリース時間の操作(クイックなど)を言葉としてではなく、腑に落ちるまで理解するのは実体験を要すると考える。
私の場合、逆に、サッカーを見ても、間接フリーキックの妙など、言葉ではわかったつもりでも体感をしてないので私の解釈は相当浅はかなものだ。
これらだけに限らず、競技者しか体感していない“非言語情報”は数えきれない。

 では、それら競技性において知りたい情報を伝えずして何を脚光対象としているか、
それは私感では、lookism(競技性とは独立した容姿の評価)や一般的な精神論(定義が難しいが、例えばstoickや熱血、努力家を賛美)だと思われる。
これについては持論が複雑且つ日々変動しているので、また落ち着いたら整理して書きたい。一点、アスリートは、仕事(プロ)であって、1プレーに何百万掛かっている中で、真剣にやらない方が少ないのではないか。それを「徹底してますね。」などとテキストや口語によって表すのは、味気がない。 

本題に戻って、では今度どうなって行くのか。
①の傾向はより強くなって行くと思われる。それは様々な競技において、アスリート当人や、彼彼女に近い人がメディア機能を果たす構図が強くなる。あるいは、一競技に特化したスポーツユーチューバーなど、身軽で且つ当人に寄り添える“メディア人”が日に日に増えていく。彼彼女らのジャーナリズム、取材力、企画、発信、新規性など、あらゆる点で群を抜いている。「へー、youtuber(笑) 」などと言っている(た)人々はスポーツジャーナリズムの本質を本当に捉えられていないか、遥かに先を行く雲の上の存在に対して目を瞑っている。

②については、live放送はマルチカメラ(アングル)放送になるのでないかと、勝手に想像する。いや、というか私はそうなることを希望している。
マルチとは、テレビ画面が5、6個に分割されて視聴者が自分の目の動きによって、見る絵を選択する。
海外ニュース報道ドラマを見たことをある人であれば想像しやすいが、
お茶の間へ届く映像は、10台(日本は多いらしい)ほどのカメラから一つの絵を次々に選別して構成されている。
絵の選別(いわゆる、スウィッチングやディレクション)を無くした放送が、多種多様な視聴ニーズを漏れなく解決するのではないか。
アメフトのQBの動きだけを見たい、甲子園監督のサイン伝達だけを見たい、などニッチ層の例を挙げればキリがない。
これはスポーツに限った話ではなくて、漫才やショー放送において、無闇に観客からカットバックする手法など、漫才オタクの私には意味がわからない。
これは、ディレクターの「味付けしてまっせー」の訴求でしかない。
とは言え、観客の表情を観たい(観せたい)人もいるから生じているので、このケースであっても、マルチカメラ放送にしてくれればどちらのニーズもマッチする。個人的には、アメトーーーークやテラスハウスなど、編集モノの映像においても、全カメラの絵が見たい。

散文で、失礼しました。

①、②踏まえ、
もし、イチローさんが自分チャンネルを始めて、マルチ画面野球解説をしたら?と考えるだけで、“敬虔な”イチロー信者の私は、ワクワクします。
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先日のBBQにて。NewEraをつばを折らずに被る、絵に描いたようなBBQ番長。
Netflix料理番組の様相で、肉全体に謎のオレンジ粉を大量に振りかける。
(塩胡椒で食べたいのに。。おお、野菜にも掛かっとるがな。。)*心の声

「いい感じじゃん!」肉を待つ”子分達”からの賛美を、あごの前後運動で吸収する番長。灰が乗った皿に乗せ無造作にサーブしやがる。
(自分で取らせろよ。。てか灰くらい落とせ。)
オレンジ粉で覆われた肉を食う。
(むっちゃむちゃ美味いんかよ。なんやこの粉)
子分の列に私は並んでいた。

“味付け"がうまい時はもちろんある。