コールドシャワーを浴びて 

コールドシャワーや、Atomization思考による日々の徒然を綴ります。

コールドシャワーを浴び続けて




意識高い系という“無敵の悪口”を巡って
*健康を害する危険がコールドシャワーにはあります。過度な身体的負荷を伴う危険行為を推薦するものではありません。 また、学術的、論理的に馬鹿げた散文です。これら注意書きも「閲覧注意・取り扱い注意」などと添えて、心理的好奇心を起こ すよくあるメディア手法を、目的としておりません。結果そのように読み手の想像力によってなったとしても、本意ではありま せん。というか、そもそも本意などない、散文です。
ガチで 8 キロも痩せてしまった。それは、コールドシャワーの直接的効果ではおそら くなくて、理性か感性かの自己問答によって食欲の暴走を俯瞰的に見るようになった (なってしまった)からかも知れない。


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「意識高いんですね。」何気なく発せられる一言。自称“意識低い系”が投げ置いたこ のモーション爆弾へは、PK ファイヤーを何度試みても当たらない。
あまりに多方面から rough に言われ過ぎて、悪口に聞こえてきた。 いや、「幸せ太りですね」(発話者の動機はポジティブお世辞)はセクハラか否かの 議論と似て、言われた側が不快に感じたらそれはもう悪口と捉えた方が快適なことも ある。
当然ながら、“意識高い系”と、勝手に一括りされる私達も十人十色である。です が、なるべく、全ての意識高い系のモーション爆弾が取り除こうと挑みます。(スマ ブラの例え一回目でスベってるから)
そもそも論として、なぜ「意識高いですね。」と言うのかを考えると、それはそう ではない“意識低い系”としての自分と相対してこそ成り立つのである。比較対象は、 自分が属するメンツや界隈の場合もある。

加えて、ガチモンロックな、ヤンキーさんに「ヤンキーですね、悪い系の人なんで すね。」とはまず言わないだろう。あるいは、それはヤンキーがヤンキーに対して喧 嘩を売る宣誓。対して、マイルド水割りの、わざわざ白カッターシャツの下インナー に黑 Supreme 着る程の、なんちゃってヤンキーだと認識して「ヤンキーですね。」と いうのである。
そう「意識高いんですね。」「意識たっかー」は、言われた私には、「あなた、ガ チもんじゃないですね」「くすぶってますね」という発話者の嘲笑が頻繁に聞こえる のである。“意識低い系”と自称する発話者自身はなんの気(悪気)なく、言っている のは分かっているつもりなのだが、この嘲笑を被った感をなんとか解消したい。発話 者が思いやりを欠いているとも取れなくないが、意識が低いのだから思いやりなんぞ 考えるはずもあるまい。解消しようにも、相手と私には競う基準がなく、どうにも“勝 ち”ようがない。相手の 64 コントローラーは挿さっていない。この、幼稚にも“勝ち” を追求しようとしていることも、また意識が高い様そのものなのである。
状況変わって、相対させている発話者が、手段として“意識低い私”を演じる時(卑 下とでも言えるか)は謙遜泥仕合になるが、これはこれで要するに“意識高い系”同士 のファルコンパンチの探り合いで、もうそれは疲弊する。様相として、「ヤンキーで すね」を類友ヤンキーが吹っかけるのに似ているか。
などなど。
生きる上で、私達“意識高い系”のこの複雑化した意識をやはり取り除くことはでき ない。
少し飛躍します。 だが、意地悪へ行くか、優しさに行くかの舵取りはできる。だから、優しい(正義 感)へ今日も向かおうとします。
最近見た意識高い系意地悪。(括弧は私の感想) 「結局服畳めず、会社畳んじゃったよ。」(じゃあハードウェア作ってみてくださいよ、 私は作れないからこんな非情な意地悪は言わない) 「社会のためなんだよね」(それを動機とした内容は、一言も言っていない。利己主義と 利他主義について熟考する私へそんな神みたいな Sorting しないでくれ) 「平等を基準に生きてるんですね?」(いや、快適を基準に生きている。お前も神か?) ...