コールドシャワーを浴びて 

コールドシャワーや、Atomization思考による日々の徒然を綴ります。

情報格差を利用するセールス・マーケがあると思う/情報の溝を無理に深くするその手法

『〇〇社に不信感覚えて、NECに大感謝した話』先ずはドキュメンタリーをお読みください。

f:id:kazuhu:20190919002251p:plain
ルーター


 先日、実家に滞在してました。
実家は毎月赤字(笑)の小売業を母と祖父母でやっているのですが、〇〇の営業の方がネット契約切り替え提案に来ていたそうです。

「回線料が安くなるんです。」

と、親身に説明を受けたらしく、丁度その〇〇に乗り換えた様で、結果、玄関先の電話機にでっかい〇色の〇〇ユニット”(なにそれ?)がセットされていました。

契約表を見ると「オプション990円??・レンタル467円??」とあります。この2行に疑問を持ちまして、電話して見ました。なかなか繋がらない。。45分ピアノ演奏音。

やっとオペレーターに繋がる。(めっちゃ元気やん)「最近新規で契約したんですが。」(会員番号や住所、本人確認など煩雑なやり取りの後)
「あの、これオプションで1500円くらい毎月あるのって何?」

「〇〇ユニットのレンタル費とWi-fi〇〇パックですね、IPv6と非常に相性が良い環境になっています。」
ルーターをレンタル、月額サブスクですかえ!?IPv6?って何?この説明絶対オカンわかってないやろ^^;)

「〇〇ユニットって何?要はルーターでしょ?しかも、ルーターからWifi飛ばすの当たり前なのに、それになぜ990円を毎月取るの?」
「いえそちらは〇〇ユニットでして、そのユニットからwifiは元来飛びませんので、カードを入れておりその環境設定が月々990円となっております。」(?ユニットはルーターじゃないって説明?それをルーターとして機能させる為に月額費用?)

「えっルーターは前のあるから、それを今の回線でもNTTの機器(後で調べるとこれをモデムと言うらしい)に、させばWifiは飛ぶんだよね」

ルーターでしょうか?他社製品は分かり兼ねます。」(これは、全社研修的な仕込み絶対あるでしょ、、)

「〇〇ユニットって要はルーターでしょ?」
「今お客様の〇〇ユニットはルーターとしての機能も今は持っています。」
「これに月額で費用とるって“ウマすぎる”でしょ、(?情弱狙いじゃん)だから、以前のルーターで設定したらネット繋がりますよね?」
「なんとも他社製の製品に関しては。。」
「回線料金をほんのちょっと安く見せて、乗り換えさせて、買い切りさせないルーターで年間1万8000円取るとか、ヒドイですやん?」
Ipv6という従来を超える高速通信ですので、その価値はあるかと」
「何ですかIpv6って?ウチの家母がSNSやるくらいなもんで、前の通信でも全然、サクサクやったんですけど。。」
「・・・・。Ipv4でもお楽しみいただける方はいらっしゃるとは思います。」
 (多分、Ipv4がダウングレード版かな?)
「もうそのIpv6とか4とか口頭で言われても判断できないですわ。」
「・・・・・ええ。」
電話を切ってルーター側にケーブルを挿し替えた。

NECルーターに差し替えてもネットが復旧しない。。

「他社製品は分かり兼ねます。」のラリーがまだ耳に残っている。コールセンターは諦めて、自転車で家電量販店へ向かう。
偶然か、〇〇ユニットのベスト?(シャカシャカノースリーブ)を来た店員に迎えられる。(さすがの営業網)
「〇〇ユニットを月額でレンタルしてしまっていて、それを返却したい。前に使ってたNECルーターに接続してもwifiが復旧しなくて。」
「・・・そうしますとルーターコーナーでお伺いください。」
ルーターコーナーまで一緒に歩く「あれってなんで、復旧できないんでしたっけ?」
「〇〇ユニットをお使いいただくことを推奨しているのですが、」(回答になってないや〜ん)
無所属店員(電気店店員)に出迎えられた。これまでの経緯を詳細に話す。
「PPPoE接続にする必要がありますね。」
「PPPoE?」
「詳しくはNECサポートダイヤルご案内しますので、そちらからお願いします。」(まじかよ。。)

家に帰り、NECのサポート番号に電話。予想に反してすぐに繋がる(これ事実なので、他意なく) 
「PPPoE接続をしたい!」(すぐに繋がったことで、テンションがバグっている)
「はい、お手元にルータースマホなどはございますかーーーー」
説明に従い、スマホアプリでPPPoE切り替えを進めた。
「できた!」
「一点ご注意がありまして、お客様の通信事業社ですとIpv6での接続が弊社ルーターではできない可能性が高いです。」
「そうなの、まっ多分Ipv4でも十分かと思います。」(各通信事業社でルーターの相性がなぜ違うのか全く理解できない。誰か教えてください。〇〇ユニット売るため?)
「申し訳ないです。」
「いやwifiがお陰で通ったので感謝です、てかそれってルーターのメーカー側に非があるんだっけ?」
「んー私だけでは知識不足で、何とも」
「とりあえずありがとうございます!」

情報格差を利用するセールス・マーケがあると思う

 家電量販店でも〇〇社は机に色鮮やかな資料を広げて、老若男女のお客さんに説明をしていた。
通信の速度、Ipv6の良さ、速さなど、〇〇ユニットのサブスクリプション費用など、細かく丁寧にラミネートしたカラーPDFを「これでもか!」とiPadも同時に駆使して、あの手この手で理解を促していた。

これを機に色々と調べたのだが、要は
回線をモデム(or 厳密にはONU光回線終端装置 )で取って→ルーターに繋いで→wifiスマホ 
だと解釈した。ここにおいて、〇〇ユニット使用に掛かる月額課金はどう考えても“美味しい”。売り値4000円前後のルーターを買い切りではなく、毎月支払いにする“錬金術”。
販売代理店へのオプション契約マージンが高いのだろうか?

「インスタが欲しい!」とお孫さんと来客する“貴婦人”に対して、「現在のルーター接続ですと回線の速度が〇〇倍落ちてしまう。」や「プロバイダーから来て、ONUを経由して、」など複雑怪奇な情報を伝え続ける。“インスタを買いに来た”人がその場で理解できる訳が無いのではないか。

「申し訳ないです。分かり難いですよね。スマホで動画や写真をアップしたいと。それでは、全部まるっとこちらで対応します。」


要点と考察
  • 「〇〇ユニットという機器はルーターで代用できるかも。」という理解から断固として顧客を遠ざける。 
  • 私の家のようにネットに詳しくない人で、仮にIpv4でもこと足りている場合でもIpv6の良さを必要以上に複雑に、情報の溝を深く掘りさげて(理解共有曖昧なまま)、セールスプレゼンに導く。
  • 利用者が多い、特に〇〇や、iPhoneMacパソコンのAppleなどはカスタマーサポート電話人員が足りていない、保留音40分などざらにある。
  • 提案側が利用者との“情報の溝”を意図的に深くして、トークに頷かせる手法はいかがなものか。代理店、顧客コール対応含めて組織的であるが故に、より不信感、不快感が募る。ルーターという共通認識の鍵であるいワードを認知させない姿勢がある。
  • 例えば、法律や税処理に関する専門的な役務は、この情報格差のギャップが関わっているが、往々にして費用の相場感があって、それを超えないものである。

  • “親切な”カスタマーサポート(これも有料)ではなくて、家族の誰かがサポートデスクになるという形態が幸せ且つ健全ではないでしょうか。

 

スポーツジャーナリズム、放送の変化 (散文です。誰かへの反論や、提案ではございません)

f:id:kazuhu:20190615102342j:plain

最近時々聞かれるので、整理して書き残します。
ウェブや視聴者体験の変化による影響は今後はさらに大きくなると思います。

①◯ダルビッシュさんが巻き起こした影響
~Youtubetwitterによって進化(変化)したスポーツジャーナリズム~
 
 私が組織内で睡眠時間を削ってスポーツ放送を担当していた時、チラッとFBタイムラインに表示された内容を見て
「えっすご、何これ。」
それは、ダルビッシュ有さんが、ブルペン練習や一人語りを撮影(おそらくスマホ)したものだった。
ブログ、twitteryoutubeなどと連動して、自らで(自己メディアチームで)自分の思うままに映像、画像、文章でコンテンツを配信していた。
*最近は、ダルビッシュさんの自己メディアの活動頻度が落ちている、権利とかかな、飽きたのかな?

 「こんなの本人しか出せない。」編集がほぼゼロ、ピントが甘いワンショット。それら含めたリアル感、むしろ新しい。
視聴しながら、「あっやべぇ、これディレクターとか要らないじゃん。しかも視聴回数や、pv数がエグい。」
そう自分を自分で放送するメディアにおいては、
当時の私の仕事の大部分を占めていた、スケジュール、各所申請、組織的“お伺い”など全てを省略できる。
なぜなら、せいぜい承諾をとるのは、自分に近いチームメートなどだけだからだ。

 さらに、最近よく議論に上がるが、編集物に対してオリジナル提供側(被写体側、撮られた側)が100%満足することはそれほど多くない。よって、取材謝礼の3,40万?(番組によってまちまち)など要らないトッププレーヤーは自分でメディアチームを組んで、“本当は言いたい(言っていた)こと”を発信する。 

②◯その競技をやったことがない私が、なぜ絵を選べるのか。
~精神論への逃避~

 私はスポーツは野球しかやったことがない。そんな私が、例えばラグビーやサッカーの映像を評価、選別できるのか。結論から言えば、できなかったし、競技経験者に勝る訳が無い。
同様に、野球をしたことがない人が野球撮影における絵を決めるというのは、なんと難解なことだろう。
 
クイズ!
(i.)✔︎1,3塁と本塁間の打球フェアorファール判定は誰がするのか?
(ⅱ.)✔︎ボークを取られる可能性が発生する始動はどこからか?(投球始動?言い方が違ってたらすいません)
これらの意味がわからずして、そもそもボーク自体を知らずして、絵は選べない。具体的には、リプレイの撮影場所、開始時点が定まらない。
解説を併せて、
(i.)について、塁審のコールを画角に入れて撮ってる(た)場合が当時散見されたが、最初のジャッジメント球審が行なっているので、塁審を撮る(リプレイ再生する)意義はない。撮るべきは球審である。塁審は球審の判定を走者へ伝達しているジェスチャーであって、フェアorファールの判定者ではない可能性が高い。  
(ⅱ.)について、ボークを取られたプレーおさらい映像に、セットポジション開始の絵がないなどというのは多くの場合間違いであって。リプレイ目的から観て、矛盾でしかない。 

関連して、投球動作をリリース直前からだけしか見せないlive映像には違和感しかなかった。(例えば人気選手のベンチ所作を撮り続ける、など)
これは好みの問題だが、投球動作の美しい動き、リリース時間の操作(クイックなど)を言葉としてではなく、腑に落ちるまで理解するのは実体験を要すると考える。
私の場合、逆に、サッカーを見ても、間接フリーキックの妙など、言葉ではわかったつもりでも体感をしてないので私の解釈は相当浅はかなものだ。
これらだけに限らず、競技者しか体感していない“非言語情報”は数えきれない。

 では、それら競技性において知りたい情報を伝えずして何を脚光対象としているか、
それは私感では、lookism(競技性とは独立した容姿の評価)や一般的な精神論(定義が難しいが、例えばstoickや熱血、努力家を賛美)だと思われる。
これについては持論が複雑且つ日々変動しているので、また落ち着いたら整理して書きたい。一点、アスリートは、仕事(プロ)であって、1プレーに何百万掛かっている中で、真剣にやらない方が少ないのではないか。それを「徹底してますね。」などとテキストや口語によって表すのは、味気がない。 

本題に戻って、では今度どうなって行くのか。
①の傾向はより強くなって行くと思われる。それは様々な競技において、アスリート当人や、彼彼女に近い人がメディア機能を果たす構図が強くなる。あるいは、一競技に特化したスポーツユーチューバーなど、身軽で且つ当人に寄り添える“メディア人”が日に日に増えていく。彼彼女らのジャーナリズム、取材力、企画、発信、新規性など、あらゆる点で群を抜いている。「へー、youtuber(笑) 」などと言っている(た)人々はスポーツジャーナリズムの本質を本当に捉えられていないか、遥かに先を行く雲の上の存在に対して目を瞑っている。

②については、live放送はマルチカメラ(アングル)放送になるのでないかと、勝手に想像する。いや、というか私はそうなることを希望している。
マルチとは、テレビ画面が5、6個に分割されて視聴者が自分の目の動きによって、見る絵を選択する。
海外ニュース報道ドラマを見たことをある人であれば想像しやすいが、
お茶の間へ届く映像は、10台(日本は多いらしい)ほどのカメラから一つの絵を次々に選別して構成されている。
絵の選別(いわゆる、スウィッチングやディレクション)を無くした放送が、多種多様な視聴ニーズを漏れなく解決するのではないか。
アメフトのQBの動きだけを見たい、甲子園監督のサイン伝達だけを見たい、などニッチ層の例を挙げればキリがない。
これはスポーツに限った話ではなくて、漫才やショー放送において、無闇に観客からカットバックする手法など、漫才オタクの私には意味がわからない。
これは、ディレクターの「味付けしてまっせー」の訴求でしかない。
とは言え、観客の表情を観たい(観せたい)人もいるから生じているので、このケースであっても、マルチカメラ放送にしてくれればどちらのニーズもマッチする。個人的には、アメトーーーークやテラスハウスなど、編集モノの映像においても、全カメラの絵が見たい。

散文で、失礼しました。

①、②踏まえ、
もし、イチローさんが自分チャンネルを始めて、マルチ画面野球解説をしたら?と考えるだけで、“敬虔な”イチロー信者の私は、ワクワクします。
f:id:kazuhu:20190615104612j:plain

先日のBBQにて。NewEraをつばを折らずに被る、絵に描いたようなBBQ番長。
Netflix料理番組の様相で、肉全体に謎のオレンジ粉を大量に振りかける。
(塩胡椒で食べたいのに。。おお、野菜にも掛かっとるがな。。)*心の声

「いい感じじゃん!」肉を待つ”子分達”からの賛美を、あごの前後運動で吸収する番長。灰が乗った皿に乗せ無造作にサーブしやがる。
(自分で取らせろよ。。てか灰くらい落とせ。)
オレンジ粉で覆われた肉を食う。
(むっちゃむちゃ美味いんかよ。なんやこの粉)
子分の列に私は並んでいた。

“味付け"がうまい時はもちろんある。

コールドシャワーを浴び続けて




意識高い系という“無敵の悪口”を巡って
*健康を害する危険がコールドシャワーにはあります。過度な身体的負荷を伴う危険行為を推薦するものではありません。 また、学術的、論理的に馬鹿げた散文です。これら注意書きも「閲覧注意・取り扱い注意」などと添えて、心理的好奇心を起こ すよくあるメディア手法を、目的としておりません。結果そのように読み手の想像力によってなったとしても、本意ではありま せん。というか、そもそも本意などない、散文です。
ガチで 8 キロも痩せてしまった。それは、コールドシャワーの直接的効果ではおそら くなくて、理性か感性かの自己問答によって食欲の暴走を俯瞰的に見るようになった (なってしまった)からかも知れない。


f:id:kazuhu:20190527030140p:plain
「意識高いんですね。」何気なく発せられる一言。自称“意識低い系”が投げ置いたこ のモーション爆弾へは、PK ファイヤーを何度試みても当たらない。
あまりに多方面から rough に言われ過ぎて、悪口に聞こえてきた。 いや、「幸せ太りですね」(発話者の動機はポジティブお世辞)はセクハラか否かの 議論と似て、言われた側が不快に感じたらそれはもう悪口と捉えた方が快適なことも ある。
当然ながら、“意識高い系”と、勝手に一括りされる私達も十人十色である。です が、なるべく、全ての意識高い系のモーション爆弾が取り除こうと挑みます。(スマ ブラの例え一回目でスベってるから)
そもそも論として、なぜ「意識高いですね。」と言うのかを考えると、それはそう ではない“意識低い系”としての自分と相対してこそ成り立つのである。比較対象は、 自分が属するメンツや界隈の場合もある。

加えて、ガチモンロックな、ヤンキーさんに「ヤンキーですね、悪い系の人なんで すね。」とはまず言わないだろう。あるいは、それはヤンキーがヤンキーに対して喧 嘩を売る宣誓。対して、マイルド水割りの、わざわざ白カッターシャツの下インナー に黑 Supreme 着る程の、なんちゃってヤンキーだと認識して「ヤンキーですね。」と いうのである。
そう「意識高いんですね。」「意識たっかー」は、言われた私には、「あなた、ガ チもんじゃないですね」「くすぶってますね」という発話者の嘲笑が頻繁に聞こえる のである。“意識低い系”と自称する発話者自身はなんの気(悪気)なく、言っている のは分かっているつもりなのだが、この嘲笑を被った感をなんとか解消したい。発話 者が思いやりを欠いているとも取れなくないが、意識が低いのだから思いやりなんぞ 考えるはずもあるまい。解消しようにも、相手と私には競う基準がなく、どうにも“勝 ち”ようがない。相手の 64 コントローラーは挿さっていない。この、幼稚にも“勝ち” を追求しようとしていることも、また意識が高い様そのものなのである。
状況変わって、相対させている発話者が、手段として“意識低い私”を演じる時(卑 下とでも言えるか)は謙遜泥仕合になるが、これはこれで要するに“意識高い系”同士 のファルコンパンチの探り合いで、もうそれは疲弊する。様相として、「ヤンキーで すね」を類友ヤンキーが吹っかけるのに似ているか。
などなど。
生きる上で、私達“意識高い系”のこの複雑化した意識をやはり取り除くことはでき ない。
少し飛躍します。 だが、意地悪へ行くか、優しさに行くかの舵取りはできる。だから、優しい(正義 感)へ今日も向かおうとします。
最近見た意識高い系意地悪。(括弧は私の感想) 「結局服畳めず、会社畳んじゃったよ。」(じゃあハードウェア作ってみてくださいよ、 私は作れないからこんな非情な意地悪は言わない) 「社会のためなんだよね」(それを動機とした内容は、一言も言っていない。利己主義と 利他主義について熟考する私へそんな神みたいな Sorting しないでくれ) 「平等を基準に生きてるんですね?」(いや、快適を基準に生きている。お前も神か?) ...

コールドシャワーを浴びて15日

コールドシャワーを浴びて 15 ⽇⽬
f:id:kazuhu:20190527030140p:plain

*内容は、決して滝⾏や激しい温冷浴など、過度な⾝体的負荷を伴う危険⾏為を推薦するものではあ
りません。健康を害する危険がコールドシャワーにはあります。また、学術的、論理的に⾺⿅げた散
⽂です。これら注意書きも「閲覧注意、取り扱い注意」などと添えて、⼼理的好奇⼼を起こすよくあ
る⼿法を、⽬的としておりません。結果そのように読み⼿の想像⼒によってなったとしても、本意で
はありません。というか、そもそも本意などない、散⽂です。

「やってみたらわかるって、冷たいシャワー習慣」。雑談ネタがなくなったとお互い感じた
だろう時に、ほぼ完璧だが外国⼈とわかる⽇本語発⾳でアメリカ⼈がそう⾔ってきた。これ
がキッカケ。「結構、流⾏ってんだって」(まじかよ、聞いた事ないわ)
彼が⾔うコールドシャワーの良さ ( Cryotherapy 共通点もあるか)
・痩せる、代謝良くなる、気分良くなる、終わった後快適、強くなる、resiliency、思考が砥
がれる(もう痩せ過ぎてるから、それ以外はサイコーやないか!おい、嘘やろどうせ)
関係ないですが、アメリカ⼈は、東京弁で⾔ういわゆる、意識⾼い系が多いです。(これも
私感なので)いきなり科学や政治、哲学の話とか真顔でします。「ほな、やってみるわ」
と、特に決断もなく反射的に⾔って、その場は終わりました。
臨場感出すために私のシャワータイム曲 BGM で流しながら読むのをオススメしま
す。
Back To Earth( https://www.youtube.com/watch?v=FG-T4RmCFa4
「豚箱かよ」と北⼭さん(野球部・関⻄⼈)にディスられた狭い家に帰り、やっ
ぱり⾔葉を思い出します。cold shower… 「冷たいやん、絶対。」冒頭の注意書きを
ご理解いただいて、もしも、挑戦される⽅、やって⾒たらわかります。
この⾔い表し難い⾃⼰問答。「ビビってるやん」「温度になれるって⾔ってたや
ん」「効果あるかどうか試すんやろ、早よしろって」


服を脱ぎ、いつもは⾚(湯)の後に捻る⻘だけを捻る。鏡に当たって⽔がしぶ
く。⾳がする。ショーシャンク。
⼀回⾜に当ててみる。
ーーーーゴリ冷たい、(多分記憶では、ゴリィとだけ発⾳できたが、冷たいは寒く
て発声できなかった)。

⻘を捻って⽔をとめる。無作為な⾃問は再開される。おそらく5分ほど。
「何なんこれ。」「⾬降って、ショーシャンクやん!くらいでウケるんかい東京
よ。」「滝⾏、護摩⾏ってインスタアイテムちゃうの?あれ」「確かに、初⽇エグ
いな」「やるって決めましたよね(はぁ、誰です?)」鏡を⾒て「ガリガリなって
る俺」

また、⻘を捻る。恐怖?不安?ビビり?何だ、「早よしろって」また時間が経
つ。とめる。捻る。
「よいしょー」(しょーに強勢があります)遂にシャワー下へ動く「うーわ、えぐ
い、えぐい、えぐないって、えぐない、お k、お k 冷たい」と声を上げながら浴び
る。慣れる説を信じて、シャワーに当たり続ける、「いつ?まだ?おい、冷たいっ
て」5分くらい経つ「慣れへんがな、もう!」

謎に15秒間声に出して数える。謎の恐怖?怒り?何だこれ。
⻘を捻ってとめる。「慣れへんがな。」初⽇終了ー。いつも 15 分くらいで終わる
シャワー時間トータル、40 分。無意味な⾟抱、何だよ、これ。

⾵呂場を出る。
「あったかい」「?なんやこのふわーっとする感は?」
本来寒いと感じる室温。
体温の回復に synchronize する呼吸。
不思議な⽪膚の熱。背⾻にホッカイロがあるのか?いやあるわけない。
⾵邪が治った早朝の様な爽快な、んちょっと違うな。
気分が良くなるとは確かに、こんな感じか。
アイスコーヒーをホットで飲んでしまった様な魔⼒感。
銭湯の⽔⾵呂なんかより温度の振り幅が⼤きいから、
バグるんだ体がほんの10数秒くらい。


8⽇間くらいが過ぎても。結果、完全に慣れる説はまだ疑問。⻘を捻って「よ
い!」と浴びるまでの問答時間は⽇に⽇に確かに短くなった。Ice man(Wim Hof さ
ん)の様な、冷たさ、体の冷えへの慣れなど⾝体的変化は体得できなかった。完全
に湯を浴びるくらいに慣れるのは、ひょっとしたら明⽇かもしれないが、これはわ
からない。確かにあるのは、終わった後の不思議な⾝体的且つ⼼理的な熱、安堵、
Survive 感が病み付きになる。

このシャワー室での挑戦、問答を通して学んだことを列記します。


●独⽴した理性・flinch(ビビり)との闘い●
「⾟いに違いない。」という感覚的不安。⻘を捻ると同時にしぶき⾳が⽴ち、わず
かに⾜指にかかる、ガチゴリの冷たさ。やらなくていい理由(不安の理性的⾔語
化)が次々湧き出てくる(yes! This is flinch!と⾔いたいだけのやつ)。それを打ち
消し、実⾏へと drive する⼼理的抵抗。例えば、プラトン(Plato)の⾔う気概とはこれ
なのかもしれない。上がった後の世界はとても Easy だ、っていう感覚的振り幅。⽇
常へと回帰して、社会へと dive する覚醒。不安という曖昧な⼼理状態は、感覚を無
理に⾔語化したもの flinch、そう杞憂かもしれない。
あんなに⾟いと思っていたコールドシャワーは、ん?いや理性では想定していた
通りの⾟さか、意外とそうでない⾟さだった。知らず知らずのうちに、感覚と理性
ねるねるねるね(混ぜるお菓⼦)は⽇常でも起こっているのだ。

―――― 多分また、暇な時書きます、続きます。

何やこの乱⽂、くだらないインテリ⾵⽂章書きやがって。胡散臭い、イかれてる
な、crazy やわ、酒で酔ってんのか、「まさか、あっこいつも、クスリやってんちゃ
うか?」⽀離滅裂「とっ散らかってるがな」など思われた⽅もいるのではないでし
ょうか。
狂ってるな、アホやな、という悪⼝や形容は、イジメられてた中学時代からよく
⾔われてました。ですが、違法クスリとか、アル中とかはやってません、やってる
のは、そう合法 Ecstasy のコールドシャワーです。(全然スベってない

私が自分なのか、自分が私なのか

 感覚のズレ。戻ってきた。

映像を見すぎて一人称を失った。のか、よく分からない。

私の感情を受け入れる。ただただ受け入れる。かゆい、食べたい、熱い。

 

私は借り物なのだ。自分が私から借りている。戻ってきた。

感情が私から派生する。 

 

悔しい、だが自分でコントロールできる対象は私が最も容易で、最も簡単なのだ。

コントロール。タイプを打つ私をコントロールしているのは自分だ。

誰だろう。私以外のこれがマインドフルネスか。よく分からない。私は自分の中にある

スポーツにおける〜流れ〜とは

f:id:kazuhu:20161222083847j:plain

流れという表現は社会、政治、スポーツ、人生、よく使われる。ある人はtide、sequence、story、momentum、stream、line、situationなどと直訳英語を同義に使い、これを含めるとほぼ毎日ニュースなどでコメンテーターからの口から発せられている。取り分け、スポーツ、中でも最もそれがよく使われる競技、まさに「流れのスポーツ」と表現される野球に目を向けて話を展開したい。

ちなみに、これは野球を現在も続ける私のこれまでの経験則、振り返りを含めて、というかそれがソースであることを読む前提にご理解いただきスクロールしてください。

第一に、流れなど存在するのかという根本的問いである。野球以外の社会的生活や営みにおいては間違いなくその存在は認められる。風が吹けば桶屋が儲かるという一連のsequenceがそれであり、心理的要因が購買要因の全てか大部分をなす場合、流れ、ここでは複合的要因、循環(経済、環境)が揃っている=流れ、storyが成立しているからだ。楽で儲かるバイトをこなして、親から家賃は負担してもらっているから、表参道のフレンチトーストが900円でもお腹が空いているからエイっとソイラテもセットでということが何気なくできる。これがバイトという流れのスタート要素が欠けると、彼氏が一緒などといった他の要素が補ってくれない限り、モスバーガーで450円で良いやと自身を納得させるのである。これは貴賎に関する良し悪しの話ではなく、storyが違ってくるということである。フレンチトーストもモスバーガーも原価はそこまで変わらないが、そこで過ごす時間や見る人というその後の流れの潜在的構成要素が大きく変わってくるのである。

話を野球に戻そう。例に漏れず皆さん同様に、私も野球は「流れのスポーツ」であるという指導者、リーダーの支配下に常にあった。「目に付く黒板や帽子の淵に書いてあるわけである」〜流れ〜を支配する。例えば、野村監督(元楽天)や渡辺監督(前横浜高校)の名言を引用していたりである。故に毎回その存在に向き合い対峙させられてきた。というのも、その掴み所のない概念にとても苦しめられ、精神的コンセプトであるためにどこでも頭をぐるぐるかき乱すのだ。これが流れの存在に違いないのだが。そこで私が出した結論が流れなどないという存在否定である。幽霊などいないというのと仕組みとしては同じである。

 次に、これが一般的に少数派の考えである理由とこの考えのメリットを紹介したい。まず、監督やコーチといった権威が流れを重んじる場合、それこそ、その流れを見極めないと評価やアピールが最大化できない。進塁打やケースバッテイングといったプレーが阿吽の呼吸で、ノーサインでできる打者が流れを加速させてくれることは想像の通りである。しかし、それは相手も把握していることであって、必ずしも右打ちによる進塁を企図して成功するものでもなく、球種やコースもそれを阻止しようと意図して組み立ててくる。では、「流れって何だそれ?」という言うなれば、猪突猛進型ガムシャラ思考の打者がレフトオーバーを打ったとなれば、評価が高い結果を出すことができる。だがこれは流れを断つ可能性(サード、ショトーゴロゲッツー、進塁不可の外野フライ)というリスクがあることに気が付いていないと権威に思われてしまうことがありえて、好ましくなく、ならば無理やりヘッド返さず右打ちに妥協しようかという安易で短絡的な教育をされていくのである。故に流れに刃向かうリスクを背負わない、言い換えれば、その場のノリを見定める選手が輩出され続けるのである。(誰目線だよ(笑、つまり同調性、チームワークの途切れない一貫性の象徴を形成しているわけである。そう正に、日本的、武士道的、出る杭を求めない道的、連綿と続く一本道というべきstoryがここにあり、受け入れられやすいのである。メリットは、正に出る杭となれるoutstandingな活躍を生み出すいわば、先駆者、innovatorとなれるBlueOceanの価値観を養えるとういうことである。そこでそのプレー!?Wow、異端児、モンスターと形容される彼らである。   

この〜流れ〜が痛烈に感じられる場所を紹介したい。それがそうご存知、高校野球である。storyが仕上がったシステマティックワーク故に、outstandingな、目立つplayは個人の心理的負担、リスク故に頻繁には目にすることはできない。原因と結果であるが、だからこそ、流れを意識したプレーを尊ばれ、smoothにコトが運ぶのである。

最後に、〜流れ〜の正体、種類とも言っていいだろう(おい何様だ?)を挙げて締めくくりたい。 

それは、〜流れ〜という各人の勝手なstory想起により生み出される中立性が欠落したジャッジである。

もう一つは、それを含めた介在不可能な、まさに神のみぞ知る複合要素、風、グランド、守備位置、体調、配球、サインなど分解停止の提示そのものである。意識しすぎなのではないだろうか。私の経験では、18.44(リリースはもっと前)から放られた球体を棒でヒットするというシンプルな事象に〜流れ〜を加味するだけでともうキャパオーバーなのです。さらにサインを見落とさずにとなると。〜流れ〜を意識しすぎない、知らず知らずに勝手に〜流れ〜を生み出す選手、その当事者になりたいと思うのです。〜流れ〜の存在をを認めて疑わない当事者は、自分という主要要因に向けるべき反省、記録を怠ってしまう危険がある。後付けの言い訳、心理的甘えとも言えよう。その瞬間も当事者であることを忘れているのだ。  

ならば、〜流れ〜を変えるとは何なのか、既存のstoryを変えるのはそれ程容易ではないだろう。「あの〜流れ〜だから無理にでもボール球に、暴走といわれるがあのケースでは」「んん??先輩このミーテングって今日の試合についてですか?ああ文化祭の演出かと思った。ういっす冗談です。」なんとも〜流れ〜の長いお話でした。     

byカズ